松本人志さんの性加害の裁判ですが、訴えている女性被害者が文春以外は特定されていなようです。
裁判が始まっているのに、松本さんはどのことを言われているか知らせれていないようです。
このような状況で週刊誌に芸能生活を終わらせるような内容を書いても、週刊誌側には責任がないようで、背景には報道の自由という 魔法の言葉があるようです。
週刊誌側としては、被害者の証言を掲載しただけで、真実かどうかは問題ないようで責任は無いとの考え方も報道の自由ってことで成り立つようです。
なんかおかしくないですか?
報道の自由は、本来強い権力を持った国や組織から圧力をかけないで報道する権利であって、個人の問題に対して軽々しく言ってよいことばでは無い気がします。
もう一つに気になるのは、文春側の顔が見えないことで、これだけ大問題になっているのに、編集長や文藝春秋のトップも記者会見もしない、それどころか 編集長にいたっては顔も公開されていない。
そのようなよくわからに組織や個人が、報道の自由に守られるのはおかしい気がします。
文春がどうかわかりませんが、報道と言う権力を持った人が勘違いし、世直しでもしているようにも見えてきます。
今回の松本さん件も報道前に、記事の差し止を条件にお金の要求があったと言われており、そのため テレビ等に影響の大きい年末に報道の時期を選んだとのみかたもあるようです。
この状況はネットでのガーシーさんと違い無いように感じます。
報道の自由を傘に法律にふれないから問題なしとの考え方は、既得権益を持った人なら何でもありと言っているのと違いとも思えてきます。
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