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20070502連休報告-01
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2007年5月5日 21時21分
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実家に帰って暇そうにしていると、父親が和歌山線に、木製の跨線橋(こせんきょう) があると、教えてくれたので、見に行くこととしました。
私の実家の最寄り駅は、六十谷駅となります。最寄りと言っても約1kmあります。
時間は、十分にあったので、歩いて行くこととしました。
このわずか1kmの距離でも、変化があるもの、変化の無いもをみることができました。
この写真の神社は、小学校の頃、毎日遊びに行ったところです。
今から思えば ばちあたり なことで、自分たち以外 見かけてことがありませんが、神社の敷地ないで、平気で自転車を乗っていた神社です。すみません...
以前は、もう少し手入れされていない所もありましたが、色々手が加えら綺麗になっています。今では、この中を自転車で走る人は居ないと思いまがぁ...
この小学校が、私の母校です。
正門は作り変えられていますが、校舎は昔のままで、この写真に2階の教室で、3年と4年の時勉強??していました。
思い返してみると、私が入学した時は、1年だけで8クラスあるマンモス校でした。そのため、運動場の半分は、プレハブ教室で埋められていた上、理科教室や図書館まで、普通に教室として使われていました。
でも、それが当たり前でしたので、プレハブで授業受けるのも平気で、それどころか、運動場に近く遊具争奪戦に有利だったので、うれしいくらいでした。
大人はプレハブの事業には問題があるように言っていたように記憶していますが、当時に子供は、全然きにしていませんでした。
結局、屋根があって、机があれば、授業が出来るってことだと思いまし、施設がなくとも、子供が居る方が、学校だと思います。
あと、この写真の看板の夜店は、変わらず行われているようです。
地域性があるのか、深い大人に事情か。判りませんが、この地域以外では、見かけたことがありません。やはり、大人の事情の気がします。
でも、子供頃は楽しみにしており、色々思い出があるので、必要悪かもしれません。
変わらないものと変わってしまったものの象徴的な姿がこの2枚です。
一枚目は、私が小学校1年から6年間以上通っていた所で、当時は、この階段には、多くの小学生があふれていました。今ではこんなにフォトジェニックな姿になっていました。一方、2枚目の散髪屋さんは、全然 変わっていませんでした。
同じ、小学生の時に利用していたものでも、時間が経てば別の姿になります。
以上のことを感じていると、あっと言う間に、六十谷駅に、到着しました。
この駅は、中学校の通学に使っていた駅です。
全然変わっていません!!唯一変わったのは、自動改札に変わった事ぐらいです。
でも、ホームしたをみてみると、変化した跡を確認できます。
この駅は、今後、発展していくか??衰退していくか???楽しみです。
ちなみに、ここを走る電車は、これです。
格好良くなりました。
肝心な 跨線橋は、明日書きます。
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http://santaku.lar.jp/step_blog/archive_214.htm
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