ダメージジーンズは着る人によって、ファッションとみられたり、単に汚らしとみられたりするものだったりします。
その違いは、そのダメージジーンズの汚らしさを、超えるパワーを、その着る人が持っているか?そうでないか??で決まると聞いたことがあります。
最近、有名人の方が法律には違反していないことについて、批判されいるのを見かけます。
昭和の頃では批判を受けてこなかったことだとの論調もありますが、ネットという媒体もあり容易に批判されています。
気の毒な側面もありますが、同時に批判されている方に、昭和の頃程唯一無二のパワーがなくなってきてい印象を受けるんも事実です。
舛添都知事の件も、法律に触れることはないようですので、辞任するかどうかにいついては、世論の動向に影響されると思われ、その職務を続けられるかは、単に都知事としてのパワーが、不正の事柄よりも、大きいかどうかで決まるような気がします。
ベッキーさんの件も、タレントとしてのパワーがあるかどうかでしょうし......
昔と比較するのは簡単ですが、本質が何処にあるかは、なかなかわからないです。
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