桜の散り初めが一番好きです。
桜を、気にして観るようになったのは、ここ数年のことで、20才代やそれ以前は、桜を見て特別感じることは無かったような気がします。
何故 今 桜の散り初めに美しさを感じるかは、実際のところはわかりませんが、桜の一年と、人間の一生がにており、特に、散り初めがころが、人の30才代に当たる気がしているためだと思っています。
30才代といえば、体力的には、20代とは違い、少しずつ何かが変化していることを感じ始めるころで、その変化が桜が満開から、花びらを一枚一枚減らしていくように、成長とは違う負の変化が始まる頃だと言え、散った花びらが決して戻ることはなく、満開のような美しさもなくしているのにもかかわらず、満開とは違う美しさはもっている頃だと思います。
そのような単純な美しさでない状態が、30代の自分には実感がもて、美しさと同時に儚さに感じていることに心地良さを感じていると思っています。
そんな桜も、私の周辺でもこんな感じでも見ることができ、目と心を楽しませてくれます。
以前は、駅のホームからみんなに眺めらみんなを楽しませてきたこれらの桜も、坂井橋駅が廃駅になって観る人が少なくなっても、数年前と同じように、咲いています。しかし、この風景ですら、桜の40年と言われる寿命から考えると、数十年後には、坂井橋駅同様失われていくことだと思います。
桜は前向きなイメージよりも、儚さを強く感じさせられることが、生き物すべてが共通のことであり、桜が一瞬でそれを表現し人感じさせられているのだと思います。
桜が舞い降りている情景は、本当に美しいですが、同時に単純に美しいとは何かを考えさせられます。
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