|
ストロングマンの限界
|
2018年11月11日 19時09分
|
今日 昼ごはんを食べに行ったとき読んでいた新聞に、ストロングマン(強権的な指導者)ついて書かれており、トランプさんやプーチンさん 習近平さん ドゥテルテさんような台頭が目立つ背景をある視点から書かれていました。
その内容は新聞の1面に?って感じの内容でしたが、その背景に欧米型の民主主義の衰退と中国の問題にあるのせよ強権者の素早い判断が経済が発展させている事実が、欧米型の民主主義国家でも、ストロングマンを望む風潮に繋がっていることをあげている指摘は面白かったです。
確かに民主主義は、全体の意見をまとめて国をある方向の国を進めるものであり、一見 国民全体が反映されているように感じますが、実際は、主流以外の意見は無視され、その意見を述べた考え方の人にとっては望まないものになり、不満が残るものになります。
また、国家主義も同様で、ストロングマンが決めたことは、必ずしもすべての人が納得するものではないことも事実となってきます。
そうなってくると、どのように決めたかの違いだけで、国家主義も民主主義も、一定の人には不利益なルールを強要するものになっていきます。
ただ一つの違いは、国家主義の多くはストロングマン1人のみの判断だけとなる点は、物事を素早く決定することが可能であり、物事が速くすすむこととなり、経済的には利益を上げることが可能となります。
民主主義を代表する国は、基本的に豊かな国でしたので、不満もなんとか抑えることができていましたが、経済やその他で格差が広がる現在が、それも出来なくなってくるのも簡単に理解できます。
経済格差が広がる現在では、ストロングマンを望む人が多くなるのもうなずけます。
ただ、実際はストロングマンはいても、その人は万能ではありません。
世界が大きくなった現在では、1人の人間の能力ではどうにもなりません。
間違った判断も多くなります。
最終的には、AIがすべての判断することしかないかもしれません。
|
http://santaku.lar.jp/step_blog/archive_2450.htm
|
コメント(0) / トラックバック(0)|談話|
|
|
|